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医院理念

 昭和 39 年(西暦 1964 年)に、初代院長の肱岡正(ひじおか・ただし)が熊本市新生に肱岡産婦人科医院を開業しました。地域に密着したアットホームな医療施設を目指し、患者さまお一人お一人の健康を第一に考える姿勢は、今もかわらず受け継がれています。そのかげには初代院長夫人の肱岡敏子(ひじおか・としこ)の献身的な姿がありました。
 昭和時代から平成時代の過渡期に医院の第一次増改築がはじまり、平成3年(西暦 1991 年)に印出秀二(いんで・しゅうじ)医師を副院長に迎え、常勤の産婦人科専門医2名体制で肱岡・印出産婦人科医院が始動しました。さらに医療法人社団新生会を発足して医院を法人化し、地域医療の質の向上と運営の透明性を確保しようと考えたのです。
 分娩数は次第に増えて最盛期を迎え、開院以来一万人以上の新生児が産声をあげました。平成 22年に初代院長が引退し、印出秀二医師が院長に就任した一方で、社会情勢は刻一刻と変化します。熊本県の出生数は減少し続け(※熊本市の出生数は平成 17年を底値にやや回復傾向)、平成 26年6月から分娩の取り扱いを一時中止せざるを得ませんでした。
 時代がかわっても私たちの初心はかわりません。患者さまがよりよい人生を歩むお手伝いを続けるために「より満足度の高い診療」を支える「より居心地のよい環境」と「よりきめ細かい接遇」が必要と考えました。平成 27年5月から印出佑介(いんで・ゆうすけ)医師を副院長に迎え、9月から新たな名の下で、大規模な改装工事に着手しました。

ここで私たちは急激な転機を迎えます。

 平成28年4月14日に発生し、群発する余震が続く熊本地震は患者さまや私たちの「平穏な日常」を奪いました。絶望的な心境の避難生活を強いられる一方で、多大なストレスに苦しむ患者さまに少しでも笑顔を取り戻したい気持ちが募ります。クリニックが「こころに寄り添える場所」になれるべく、一日も早い再建と復興を胸に誓います。

なぜ施設名を変更したのでしょうか?

①「肱岡・印出」から「いんで」に

 半世紀前から引き継がれる初代院長夫妻の姓「肱岡」は、クリニックの象徴であり、夫妻のなき今も私たちの心の拠り所です。しかしいつまでもそれに甘えていてはいけません。「親の光は七光り」 の諺を反面教師に、二人の意志を引き継ぎ、あえて名前をふせる挑戦を決意し、またより身近に感じられるように平仮名で表現したのです。


②「産婦人科医院」から「レディースクリニック」に

 身体的な悩み・精神的な悩み・社会的な悩みと、女性の悩みは多様化しています。必ずしも病名が付く理由があるとは限りません。温かく優しい気持ちで、悩める女性の声に耳を傾けながら不安や不調を受け止めてサポートしたい。私たちは病気を診るのではなく、病気に悩む女性を診るのだ という使命感をより強く意識したのです。

 患者さまがこれから歩まれる、よりよい人生の道の先をともに見つめ続けたい。そんな「人生の道しるべ」のような、身近で信頼できる「あなたのかかりつけのクリニック」を目指します。まずは私たちにご相談ください!